| 郷里の四季 | 冬 | 春 | 夏 | 秋 |
都会からの帰省客もいなくなり、賑やかだったお盆が終わるころになると二学期が始まります。真っ黒に日焼けした顔から歯と目の白い部分だけが目立つような子供たちが、大勢学校に戻ってきます。秋はスポーツの季節、運動会のシーズンです。運動会は刈り入れ前のタイミングを見計らい、豊作祈願もかねて行われておりましたので、村中の一大行事でした。朝から子供も親も年寄りもいそいそと学校に集まり、皆で一生懸命声を出し、参加し、そして楽しみました。リレー協議などは地区対抗で行われ、大人も四、五人は出場します。普段あまり走らない大人たちの足がもつれて転倒しそうになるシーンなどは、場内の爆笑を誘ったものでした。ただ、私にとって運動会の想い出はあまり楽しいものではありません。私の両親は二人とも学校の教師でしたので、親子が一緒に昼の弁当を広げるということがなかったからです。ほかの家族は一家揃って楽しそうに食べているのに、私はポツンと一人だけ離れたところで食べる寂しさ。子供心にたまらないものがありました。
秋はまた、収穫の季節でもあります。春の田植え時と同じように二、三日の農繁期休業がありました。稲刈り、稲の運搬、脱穀と襟元から藁屑が入り込んで、ヒリヒリするのにもがまんして働かされました。イナゴ獲りもよくやりました。バッタの一種のイナゴは佃煮にすると美味しいので、教育備品購入の資金を稼ぐために全校生徒でイナゴ獲りをやったものでした。ツルで丸い輪をつくり、袋の口にはめ込みますと虫を入れやすくなる仕掛です。競争でしたので、2キロ、3キロと大量に獲ることができるとノートや鉛筆がもらえるので必死でした。朝家を出て、イナゴを獲りながら昼までに学校に辿り着くのです。ズッシリと重い袋を計量器にかけ、「うわぁー、凄いなぁー」などと声をかけられるとそれはそれは嬉しいものでした。
ところで、北海道には虫が少ないせいかあまり虫に慣れていないようで、クモやイナゴやアブがでると大騒ぎをする人が多いようです。蚊に刺されても、私などは爪でバッテン印をつけてやるとそれでかゆみも止まってしまうのに、ポッコリと赤くはれてしまう人が見受けられます。免疫ができていないせいでしょうか。東京に住んでいる時、郷里から送られてきたイナゴの佃煮を見た北海道出身の友人は、ギャーッという大声を出し、腰を抜かしてしまいました。バッタ、バッタと言ったきり言葉が続かないのです。世にもおぞましいものを見たというような顔をしており、私にはおかしくてたまりませんでした。
クルミもよく採りました。昔の人はうまく考えたもので、クルミの木を川べりに植えたのです。実がなると房ごと川に落とし、水面に叩きつけられる衝撃で房が一個づつバラバラになり、下流で待ち構えていれば労せずに実が採れるのです。穴を掘って一ヶ月ほど埋めておけば、外皮が腐って私たちがよく見る固い殻のクルミが出てくるのです。クルミは食用にもしてましたが、結構いい値段で売れましたので採集を商売にしている人もいたくらいです。
会津は桐の産地です。桐タンス、桐下駄など桐製品が有名です。どの家でも娘が生まれると、桐の木を植えたものでした。ちょうど嫁入りころになると手頃な太さになるので、これを売って結婚資金にするのです。私の母も嫁入り道具として桐のタンスを持ってきました。我が家の二度の改築でこのタンスを捨てる捨てないの大激論が父と母の間で闘わされましたが、結局、それは今でも私の家で大事に使われております。
魚たちにとっても秋は産卵のシーズンで、婚姻色に染まった姿はとてもきれいです。春から夏にかけて川の栄養をたっぷりとったハヤは、赤と黒の縞模様に染まりアカハラと呼ばれるようになります。流れの速いところにヤナ場をつくり、小さめの石を流し込んでやると産卵場と勘違いするらしく、その石にアカハラが群がってきます。ここにすかさず投網を打ち込むのです。脂の乗った大量のアカハラが文字通り一網打尽で獲ることができます。串焼きにしてもいけるし甘露煮にしても大変おいしく、これから訪れる厳しい冬の貴重なたんぱく源として保存されるのです。
十二月を迎えると里にもちらほらと雪が舞い降りてきます。
除雪も交通も今ほど発達しておりませんでしたから、冬は文字通り陸の孤島化し、交流が途絶えてしまいます。それでも、人々は雪の合い間を縫っては、お茶を飲みに出かけ、漬物をかじりながら一日中人の噂話をして過ごすのです。よく言えば情報交換ですが、逆に言えば他人への干渉でもあり、閉鎖性と内部干渉を常とする村社会の典型的な姿です。私はこれになじむことができず、郷里を離れて東京に出ました。ようやくあのしがらみから抜け出すことができた開放感は、若さと相俟って私を自由なのびのびとした、時には常軌を逸脱した世界へと誘ってくれました。しかし後で身につまされるのですが、開放感や自由の裏にはやや冷たい寂しさや孤独もつきまとうようですね。故郷を離れて30有余年、ずっと抱いてきた寂寥も日々の煩雑に取り紛れていましたが、二年ほど前に小学校時代の友人がひょいと苫小牧に訪れたことから故郷のことが蘇ってきました。交信が再開し、電話で何度か話しこむうちに懐かしさがこみあげ、遠い彼方に忘れてしまっていた昔からの暖かい心のあり様を思い起こしておりました。今年の私の選挙には同級生全員が色紙にメッセージをしたためて励ましてくれたり、同級生の写真を見て名前を思い出したりしていると、その背景には子供の頃のことが次々と浮かんできました。故郷の人達の生活や考え方に思いを巡らしていると不思議と今の自分の考え方に共通するものがいくつか見つかるのです。相互扶助、連帯責任、忍耐、調和、バランス感覚、それらは私が若い時に否定したはずの村社会的な考え方でした。忘れていたものを探しあてることができた、そんな感覚です。ですから郷里のあの人たちに会うために今年は帰ってみよう、そう思っております。